2014_10
28
(Tue)23:59

子供の為には親が動くしかない。

うちの子は、PDDで、軽い知的障害がありますが、たぶん。

ぱっと見、一見しただけでは、障害の有無は、全く解らないと思います。
ある程度、打ち解け、コミニュケーションを取った時、「ああ。」と解る方が多いです。

これは、娘の将来の生きにくさを表してというか、暗示しているんですよね。

その事で、本人が苦労する部分は、きっと出てくる。

でもね、定型の世界に、こういう子たちを入れる為には、理解のない場所だと、特に。
親が施設側に掛け合って、動かないと変わらない。

日本はね、自分たちと少しでも違うところが、見受けられたら、排除しようとする。傾向が少なからず、ある国だと私は思っています。だから、いじめがなくならないんじゃないですか。

うちの子は、子供の数がやたらと多い、マンモスの幼稚園、卒園です。

過去、自閉症の子供たちや、重い心臓の病気のお子さんも通った園なのですが、それでも、障害と健常の比率にすれば、
圧倒的に健常の子供たちのほうが、多い訳です。

多動の多かった娘は、最初の丸一年は、まともに通うことは出来なかった。
就園している筈なのに、未就園児クラス、丸一年、通いましたから。

この時のことは、私のなかでも、今でも、判断を間違った思っていることの一つ。
就園させる一年前から、未就園クラスに入れていたら、ひょっとしたら、定型発達の子供たちと同じ、スタートが切れたんじゃないか、と。

でも、園側には、文句一つは言いませんでした。園側も、精一杯の配慮をしてくれていると解っていたからです。

普通なら、「入園は辞めて下さい。」というところだと思います。


集団に慣れるのに、一年かかりましたが、その時の経験があって、残りの園生活2年は、穏やかに過ごせましたね。

結果は、娘は最後の年。年長さんには上がることなく、年中で、年齢通りの歳で、卒園しました。(一学年下げた形で卒園は、私と夫で園側に、申し出たことです。)
私は、「娘に、年長さんだけの特権や、その年代にしか出来なかったことを、本人には、経験させてあげれられなかった。」

ということを、全く悔やんではいません。

園側に言えば、年長で卒園は出来たと思います。

だけど、当時の娘に、これをやることは、知能的にも、たぶん。やることは不可能でしたから。
無理せず、楽にいられる、本人の心の負担を考えた結果です。



タイトルにあげた言葉。

子供に、良い環境を作ってあげたいと思うなら、迷いを捨てて、施設側に、配慮を申し出ても良いと思う。
そういう勇気は、親は持たないと。

変わるのを待っているのでは駄目。嘆いているなら、親が動くしかないです。

行動あるのみ。

理解を得られないのら、尚更。得られるよう、言ってみて。
諦めずに・・ね。

親が動くことで、変わるってことありますから、少しでもね。

あとは、入園時、入学時に障害の有無が解っているなら、隠さずに話されたほうが、良いと思う。
そのほうが、受け入れる側は、様々な意味で、事前準備が出来るからね。

メリットは高いと思うな。知らないで、戸惑うよりは。


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